現代アート・現代美術のインスタレーション

installation.jp

美学者母の現代アート・現代美術作品

「ウェブアート宣言」

「ウェブインスタレーション」

現代アート・現代美術、美学者母の活動業績(ポートフォリオ)

 

           

現代アート・現代美術

 

現代アート・現代美術

 

「造形と文学の極地」

現代美術・現代アートの中のひとつの表現手段としてインスタレーションは一般的に認識されている。それは空間や場所と、物や事といったものの関係性により成立する。私はある時期からインターネット上の空間というか、仮想空間にとても興味をもちはじめたのである。それは空間と認識されながらも、はっきりとした実在性がないという、アート表現にはうってつけの「場」だと感じたからである。私はその場所で「アート」を展開させていく事を世の中に知らしめるために、2010年5月9日に『ウェブアート宣言』(Web art declaration)を宣言したのである。例えばピカソがキュビズムを、マルセル・デュシャンがレディメイドを生み出したように、私はウェブインスタレーションを生み出したのである。それは現代においては必然的なできごとでしかないのである。それはピカソがキュビズムを、マルセル・デュシャンがレディメイドを生み出したように。私たちの目の前には当たり前にインターネットが存在し、私たちの生活を取り巻いている。私は表現者としてそれを使わない理由がみつからないのである。そして表現者として、このインターネット上の空間を表現の場所として使用するのである。後は、このインターネットという空間を上手くアートとして成立させるだけの事や物がそろって、このウェブインスタレーションは成立する。では何をこの空間、仮想空間にある意味「設置」させれば成立するのだろうか。それについて私は深く考えた、しかし結局答えは身近にあったのである。私は「言文不一致」という事から知恵を得た。そもそも文字は造形である、それは「言文不一致」というものがその事に答えてくれる。「言文一致」している現代においては、言葉と文字や文章は等価であるのは常識であるが、である。現代において文字や文章は意味に満たされているが、インターネットという空間、仮想空間、ある種「カオス」な空間で、言葉を伝える手段として文字や文章は意味を成さない事に気づいてきたのである。そう、それはある種の二重の転倒が起こるのである。本来アナログな世界では、言葉を伝えるにはそれに等価である文字や文章が絶対的なものであるはずが、インターネット上ではもうそれは全くの無意味になり、コンピューターに映し出されている画面そのものに絶対的な意味をみているのである。私はそこに「アート」を見出したのである。私は以前からブログを書いていた、しかしインターネットというカオスな空間では全く意味をもたないものになり、そのカオスな空間で再構成され秩序をもち貴方のパソコンのディスプレイに映し出されるのである。それを具現化したものが「installation.jp」である。

美学者 母(mama)